GASをAndroidタブレット使って書きたい時にスタンドアローン型でなくコンテナバインド型でスクリプトエディタを開く方法

検索しても答えが出てこなかったから備忘としてメモ

スタンドアローン型は、Googleドライブをブラウザから開いて新規作成すればすぐ もしうまくいかなかったらChromeであればPC版を表示するでなんとかなるはず

コンテナバインド型は厄介

モバイルアプリのスプレッドシートだと拡張機能メニューへApps Scriptが無く、設定のアプリと通知を変えてデフォルトで開くについて、リンクを開くの箇所を「このアプリで開かない」に変える事でブラウザでスプレッドシートへアクセスできる ただここで気をつけないといけないのは、ブラウザ版のGoogleドライブからファイル選択してダブルクリックとかだとプレビュー表示しかできないのでファイルからでなく右上のサービス一覧メニューからスプレッドシートを選ばないといけない

そしてアクセスできるけどこの状態だとまだwebアプリ側でモバイル判定されちゃうからアプリ誘導のスタティックページへリダイレクトされちゃってwebアプリへ辿り着けないので ここからPC板を表示するに変える事でやっと デスクトップ版のwebアプリのスプレッドシートAndroidタブレットで使えるようになり、コンテナバインド型のスクリプトエディタを起動するにはそこから、拡張機能のApps Scriptを選ぶ事で開発開始できる

めんどくさ、、

javaわからない

javaわからない

ちょっと前にチュートリアルやった時はIntelliJTomcat普通に起動できてたはずでSpring Boot公式入門とかできてたはずなのに久々に起動したら8080でアクセスできなくなってるし

正直、こういう手戻りがあるからローカルでサーバ起動するide開発がちょっと信用できないんよなあ できればリモート開発前提の環境が欲しいが、まあ手軽さが違うしなあ

引き続き色々試すがログに何も落ちなく正常にビルド実行も走ってるのにレスポンスとれない 最初からlocalhost:8080/helloへルーティングしてたけどダメでルーティングやめて/へ変えてもダメで手がかりがないSpring Bootもわかってないから進まねえ

もうIntelliJ諦めてEclipsに変えてってしてもダメだったけどこちらはエラーメッセージ取れた8080ポートが他のプロセスに既に使われてるよってはなしでやっぱり誰かがTomcam起動してるっぽいがでも何度かpc再起動してるし不思議だ とにかくPowershellでkillする方法調べてプロセス切ってやると一度は実行起動するようになったからよし けどSpring BootとしてのルーティングはできないTomcatのエラーページしかとれないしまた実行し直したら8080アクセス不可になる 実行時に前のプロセスを切る処理が入ってないのがなぜなのか作り込まないといけないのかあ…

とにかく色々しんどいがやるしかないがまあEclipsでやっていけばなんとかなりそうエラーメッセージがわかりやすいから直せるコントローラーからreturnしてるtemplateのHTMLファイル無いよってのもすぐ気づけた 今後はEclipsでやっていくのとこっちのチュートリアルは分かりやすいステップがちょうどよい具合に小さくて良さそうだった

SpringBootに入門するための助走本(Zenn改訂版)

オリジナルラッパー入れたりしてるから使い方を付記しといて欲しかった調べながらいくしかない

ふとした自分の気付きだが、タスク管理的に1チケット仕事の1単位の細かさ粒度は画面の大きさに比例してブレークダウンしないと処理能力に沿わないから進まない感じ スマホは一番小さくて本当に手元なにするかレベルじゃないと消化しにくいPCで普段JIRA1チケット処理してる粒度で着手しようとすると進まないし通勤中に何かしたいならもっともっと小さくする必要あるっぽい まあ集中する時間単位もあるけど、さらに言うと画面の大きさカケル入出力の速さかも

八ヶ岳ハイキング情報を集めたい

The BOYS 面白い

アマプラオリジナルドラマで、一言でいうとアメコミスーパーヒーローがエンターテイメントとして喜ばれるような名声欲に歪められた社会を描く群像劇

特にDCをオマージュしたキャラクターが多く登場するが、米国や日本でも世相としてよく目にするような「子供じみた正義感」をもたらす名声欲という心の病をエンターテイメントコンテンツをモチーフに描きだすことで皮肉がものすごく効いた作品になってる

日本だと昔から恋愛ドラマとかバラエティ番組などTVの「演出」って形で似たような孤独心を狙い撃ちするようなエンターテイメントがあったり、今の大人子供の年代層だとソシャゲとかライバー投げ銭なども当たりそう

こういう社会に新しい世代が放り込まれ困惑しつつも流されずブレずに立ち向かう姿が見所になる

今の俺には本当に今の社会を鏡で写したように見える

ヒーローのように見える人らはみんな虚飾まみれの精神疾患で同世代で今おちこぼれに見える人らを踏み台にして上に登ってきた

若者は上の人達が声高に叫ぶ理念には冷めた受けとめしかなく踏み台にされた人らからどんな社会なのかを学びつつ、その負け犬連中もろとも全部を破壊しようと奮起してる

自分もこういう傾倒し易い性格だけどなぜ宗教に入ってないのか考えたとき ふと大学の卒業制作で着想した「死の練習」って概念を思い出すことがある

「死の練習」ってのが何を意味するか今も自分で捉えきれてないけど祖父が死んだときベッドで手を握ってて最期に声をかわして冷たく固くなってくのを感じたこととかグロ動画見て今際の際に人がどんな顔するのか何を見てるのか考えたりとかそういう経験や知見を積み重ねながら自分自身の死に対する練習として生きていくことで 自分が死んで消えて無くなってしまうことから目を背けないよう冷静になれることがあるから引き摺り込まれないんじゃないかなと思う