記憶することと考えることの使える脳の量って、案外たんじゅんに相対的な関係なのかなっておもう

勉強熱心でいろいろ覚えるひとが考える力が低いのかって反論あるとおもうけど、実際、覚えるかたちで勉強するひとはそのとおりなのかも

逆にはじめから考えるかたちで勉強してる人は、確かに考える力が高いのだけど効率悪いから覚える量は多くできない

どういう風になるかはひとの性質によって変わるだろうから、例えば前者のひとは「あのときもう少し考えて行動してたらなあ」っていうことはあまり気にしてなくて、逆に「あのときあれ知ってたらなあ」って言う。後者のひとは逆だから、知らなかったことは後になってから興味を示すことがないし、知識というよりは判断や考察について後悔することが多いんじゃないか

そういう性格


何が言いたいのかというと、情報過多な社会で暮らしてると自然と覚える力を浪費してしまうから、インプットを抑えることが要領よく生きれるコツなんじゃないのかとおもった

なんか久々に怒られて傷つくかなと思ったら案外平気で、むしろ俺がわざわざ機会作ってやったメンバーの輪の中で話すチャンスにはりきっちゃったのかな、とか

哀れというかなんというか


あれでちょっとでも部下から信頼されてると思ってるんだろな、と思うと可哀想になってきた

人によって育て方があることを学んだ。あいつには恫喝的な指導ではダメだった

そう言う上司の言葉は、今でも他の部下への恫喝的な指導を続ける自分を肯定したいがための言い訳にしか聞こえなかった

指導する相手を見極めきれなかっただけで恫喝的な指導方法そのものには問題はない、として、暗に指導についてこれなかった部下の資質のせいにしようともしてる

恫喝的な指導をすることで部下が病んで、それを見習ってそのまた部下を恫喝的に指導してそのまた部下が病んで

負の連鎖を生み出していることに気づく日は来ないだろうな、きっと

育成とかコミュニケーションとかじゃない。この組織が腐ったのはマネージャーやリーダーが軒並み、これからの自分の仕事に希望を失ってしまったからだと思う