予備校の小品「夢」


家の玄関を出て朝日を仰ぐと、桜の木につぼみが付いているのを見付けて、春がもう近いと知る。そのまま朝の陽気の中をぶらぶらと小学校の方まで散歩しようと思って空を眺めながら行くと、突然目の前を雪がひとひらかすめた。
校舎を見ながら歩いていたら、ふと小学生時分の事柄が思い出されてしまう。今のまま、このままの知識や性格を始め、頭の中にある全てのものを持ったまま、あの頃に戻ることができたら…。そう思う事も少なくない。それ位の思い出しか無い。
ほどなく家へ帰り着くと、桜の木のつぼみが一つ残らず消えている。妙にうすら寒い空気も立ちこめてくる。木の根本、雑草の枯れ葉を見たら、言い知れぬ悪寒と喜びとその他様々な感情が混ざった気持ちが心の中で一斉に踊りだした。時間が戻っている。どういう理由か知らないが、現に目の前で枯れ葉が青葉へと見る見るうちに変わってゆくのだ。
僕は歓喜した。僕が目の前の時間の逆転を意識できると言うことは、僕の精神の時間は逆転していないという事だ。これで夢が叶えられる。そう思った。
やがて、この現象が顕著に現れ始めた時、僕は夢はただの夢だったと思い知る。時の逆転は、僕のこの肉体も例外ではなかったのだ。どんどんと脳が退化していく。記憶が泡の様に消えてゆき、もはや死を待つのみである。