<span style="font-size:medium;font-weight:bold;">「エレクトラ」を見て</span>
「エレクトラ」は、元々「デア・デビル」という作品のヒロインだったキャラクターが主人公になった外伝のようなお話。
孤高の女アサシン「エレクトラ」が「デア・デビル」の作中で死んでしまった後、"キマグレ"の達人スティックにその技で蘇生される。
そして悪の組織ザ・ハンドと死闘を繰り広げる内に、無くした心の一部を取り戻していく。
王道のアメコミムービー。
ザ・アメリカンコミック。
「デア・デビル」も「エレクトラ」も興行的には成功できなかった作品だが、私は好きなタイプの作品だ。
「ダークマン」を幼少の頃に母親に見せられた時、ヒーローという概念の新しい発見をした。
それは、
"正義"であることの苦しみや悲しみを抱えながらも、"人として"放っては置けない性分としてのヒーロー像。
憧れというよりも、共感をもって想いを馳せる部分。
ナポレオンやジャンヌ・ダルクの頃から、英雄はこういった人間としての面を強調することによって逆に"悪"に対抗する者としての共感を得るような気がする。
"善"よりも純粋な"悪"に対して立ち向かうことで、不純な"善"を正当化していけるのだろう。
誰でも絶対的な"善"の存在がある事を信じたい。
その方がいつも安心できるからだ。
話がそれてしまったが、
とにかく「エレクトラ」には純粋な"悪"が登場する。
それも一分の隙も無く"悪"。100点満点で"悪"。
とくに意味はないけど"悪"
そして、"善"は人間の性分として登場する。
悪の組織ザ・ハンドが狙う少女に出会い、自分も又その命を狙う暗殺者として近づいたエレクトラが、次第にその子供心に惹かれ、かつての孤独な自分を重ねるようになっていく。
本来殺すべき相手に"ほだされてしまう"。
これがこの作品の"善"だと思う。
この様に、"悪"の影としての"善"が苦しみもがいて道を探す作業は正に人生そのものといえるんじゃないだろうか。(大げさ過ぎるかも?)
マニア的な視点から言うと、
主人公エレクトラを演じた、ジェニファー・ガーナーが可愛い!
チャーミングだ。だから良い。
謎の武術"キマグレ"の達人スティックを演じるテレンス・スタンプが渋い。
盲目のはずなのに最強。
だけどエレクトラがピンチの時は放ったらかし。良い。
謎の武術"キマグレ"が意味がよくわからない。
武術の要素はことごとくカンフーなのに、言葉では日本語で表される。(エレクトラも一言だけ日本語を喋る。カタコトで可愛い欧米人が日本語を話すとなんか良い)
なにより一番の謎は悪の組織ザ・ハンドだ。
目的や社会的な悪さの実績は一切教えてくれない。
よくわかんないけど巨大な組織で、ボスの息子が超強い。
ボスの息子の手下が異常に怪しい。半端なく怪しい。
それ故にかっこ良い!
ボスの息子が以外によく戦う。
おぼっちゃん風の甘いマスクの東洋人で、明らかに「うぇーん」って泣いて負け惜しみ捨て台詞に逃げちゃいそうな感じで登場するのに、
シャレになんない位強い。
はっきり言って手下は全然役に立ってない。
良い。
総括して言うと、「エレクトラ」は面白い。
以下、共感作品を挙げておく。